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真田昌幸宛
織田信長書状
天正10年(1582)
4月8日
馬一疋黒葦毛、到来、懇志の至り、特に以て馬形・乗り心(のりごこち)以下比類なし。
別して自愛斜めならず候。 はたまた、その面に於て、馳走せしめ候由、尤も然るべく候。
いよいよ情(精)を入れるべきこと専一に候。
猶滝川(一益)申すべく候也。
四月八日
朱印
佐那田(真田)弾正殿
真田昌幸宛
長束正家等連名署状
慶長5年(1600)
7月17日
急度申し入れ候。今度景勝発向の儀、内府公 上巻の誓紙並びに太閤様御置目に背かれ、秀 頼様見捨てられ出馬候の間、おのおの申し談 じ、楯鉾に及び候。 内府公御違ひの条々別紙に相見え候。この旨 尤と思し召し、太閤様の御恩賞を相忘れられ ず候はば、秀頼様へ御忠節あるべく候。 恐々謹言。
七月十七日
長大 正家(花押)
増石 長盛(花押)
徳善 玄以(花押)
眞田安房守殿 御宿所
真田信之宛
徳川家康書状
慶長5年(1600)
7月24日
今度安房守罷り帰られ候ところ、日比(ひごろ) の儀を相違へず、立たれ候こと、奇特千万に候。 なほ本多佐渡守申すべく候の間、具(つぶさ)に する能はず候。 恐々謹言。
七月廿四日
家康(花押)
眞田伊豆守殿
真田信之宛
徳川家康安堵状
慶長5年(1600)
7月27日
今度安房守別心のところ、その方忠節を致さるる の儀、誠に神妙に候。然らば、小県の事は親の跡 に候の間、違儀なく遣はし候。その上身上何分に も取り立つべきの条、その旨を以って、いよいよ 如在に存ぜらるまじく候。仍つて件の如し。
慶長五年七月廿七日
家康(花押)
眞田伊豆守殿
真田昌幸宛
石田三成書状
慶長5年(1600)
7月31日
去る廿一日に両度の御使礼、同廿七日に江佐に到来候。拝見候。
一 右の両札の内、御使者持参の書に相添ふ覚書並びに御使者の口上得心の事
一 先ず以って今度の意趣、兼ねて御知せも申さざる儀、ご立腹余儀なく候。 然れども内府大坂にあるうち、諸侍の心如何にも計り難きに付いて、言発 の儀遠慮仕り畢んぬ。なかんづく、貴殿御事とても公儀御疎略なき御身上 に候の間、世間かくの如き上は、争(いか)でとどこほりこれあるべきか。 いづれも隠密の節も申し入れ候ても、世上成り立たざるに付いては、御一 人御得心候ても詮なき儀と存じ思慮す。但し今は後悔に候。御存分余儀な く候。然れどもその段もはや入らざる事に候。千言万句申し候ても、太閤 様御懇意忘れ思し食されず、只今の御奉公希ふ所に候の事
一 上方の趣、大方御使者見聞候。先ず以っておのおの御内儀方大刑少馳走申 され候の条、御心安かるべく候。増石・長大・徳善も同前に候。我等儀御 使者見られ候ごとく、漸く昨日伏見まで罷り上る躰に候。重ねて大坂の御 宿所へも人を進め候て御馳走申すべく候の事
一 大略別条なく、おのおの無二の覚悟に相見え候の間、御仕置に手間入る儀 これなきの事
一 長岡越中儀、太閤様御逝去巳後、かの仁を徒党の大将に致し、国乱雑意せ しむる本人に候の間、即ち丹後国へ人数差し遣はし、かの居城乗取り、親 父幽斎の在城へ押し寄せ、二の丸まで打ち破りし候のところ、命ばかり赦 免の儀禁中へ付いて御佗言申し候間、一命の儀差し宥され、かの国平均に 相済み、御仕置半ばに候の事
一 当暮来春の間、関東御仕置のため差し遣はさるべく候。仍って九州・四国 南海・山陰道の人数、既に八月中を限り、先ず江州に陣取り並びに来兵糧 米先々へ差し送らるべきの御仕置の事
一 羽肥前儀も、公儀に対し毛頭疎意なき覚悟に候。然りと雖も、老母江戸へ 遣はし候間、内府へ疎略なき分の躰に先ず致し候の間、連々公儀如在に存 ぜず候の条、おのおの御得心候て給ひ候へとの申され分に候の事
一 箇条を持って仰を蒙り候ところ、是また御使者に返答候、またこの方より 条目を以って申す儀、この御使者口上に御得心肝要に候の事
一 この方より三人使者を遣はし候。右のうち一人は貴老返事次第案内者そへ られ、この方へ返し下さるべく候。残る二人は会津への書状ども遣はし候 の条、その方より慥なる者御そへ候て、沼田越に会津へ遣はされ候て給ふ べく候。御在所迄返事持ち来り帰り候はば、またその方より案内者一人御 そへ候て上着待ち申し候の事
一 豆州・左衛門尉殿に、別紙を以って申し入るべく候と雖も、貴殿御心得候 て仰せ達せらるべく候。委曲御使者申し伸べらるべく候。恐惶謹言。
七月晦日
三成(花押)
眞房州 御報

※江佐 … 近江佐和山
※長岡越中 … 細川忠興
※幽斎 … 細川藤孝
※大刑少 … 大谷吉継
※羽肥前儀 … 前田利長

真田信之宛
徳川秀忠書状
慶長5年(1600)
8月23日
以上
わざわざ啓せしめ候。
仍って明二十四にこの地を罷り立ち、ちいさ形へ相動き候の条、その分御心得 候て、彼の表へ御出張あるべく候。尚大久保相模守・本多佐渡守申すべく候。 恐々謹言。
八月廿三日
秀忠(花押)
眞田伊豆守殿
真田信之宛
同昌幸書状(幸村代筆)
年次不詳
(九度山蟄居中)
3月25日
その許の様子、久々承はらず候の間、半左衛門相下し候。御息災に候哉、承はりた く候。此の方別儀なく候。御心安かるべく候。但しこの一両年は、年積り候故、気 根草臥れ候。万事この方の儀御察しあるべく候。委細は半左衛門申し達すべく候の 間、具にする能はず候。恐々謹言。

追って、珍しからず候へども、玻璃の盆一つ、同じくとうさん二つこれを進じ候。
次に左衛門佐慮外ながら御言伝申し入れ候。先書に申し上げ候ごとく、爰元永々の 御山居、よろづ御不自由、御推量成さるべく候。我等手前などの儀は、なほ以って 大草臥者に罷り成り申し候。御察しに過ぐべからず候。以上。

三月廿五日
安房 昌幸(花押)
豆州 参

※玻璃…ガラス

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